パレイド再考察

やっっっっっっっとパレイドをフルで聴くことができました!!!千葉公演から長かった……

この期間に、いろいろなことを考えました。前回のパレイドの考察もたくさんの方に読んでいただきました。ありがとうございました。

歌詞、MVなどがすべて公開になりましたので、また再考察をしていきたいと思います。

大部分は前回の考察と変わらないと思うので、気になる方はこちらも読んでいただけると幸いです。(パレイドについて(発売前の考察) - journey logbook

 

『パレイド』というタイトルについて

 パレイド(parade)には行列、行進などの意味があります。この曲のニュアンスとしては、行進の意味に近いと思います。

夏川さんの歩んできた人生、これから歩む人生を”行進”として歌っているのではないかと思いました。

夢の世界(表舞台)をきらきら見つめていた時代を経てアーティストになり、活動をするにつれ自分を見失ってしまい、苦しんでいる夏川椎菜さんの心境を詰め込んだ歌だと思います。

 

歌詞について

歌詞が公開されて耳コピとはだいぶ違う点も出てきたので、そこについて触れていきたいと思います。

『あぁきれいな言葉とか 言えるほどの自分じゃない  だけどこの夜の孤独を越えるために 手放せないんだ』

まさかまさかの歌詞でした。

僕の中では、過去のきれいな言葉ばっかり言っていた時代の自分、つまり夏川さんが演じていた理想の自分を手放し、現実を見て前に進んでいこうという悲しいながらも前向きな部分だったと思っていました。

ですが実際には違いました。

”手放せない”んです。きれいな言葉とかを言えるほどの自分じゃないと分かっているけど、きれいな言葉で自分を守っていないと孤独な夜は乗り越えられなかったのです。

今日更新されたブログで「救いがない曲」と言っていますが、まさにその通りだなと。

自分を理解しているのにもかかわらず、釣り合わない言葉でしか自分を守れないなんて悲しすぎますよね......

 
『答え探しメリーゴーランド 見ないふりをするほうが 前に進んでいけるのかな  不釣り合いの言葉をつれて パレイドはつづいてく』

答え探しメリーゴーランドの部分が間違えていました。

ぐるぐると回り続けるメリーゴーランドに例えて、同じことでずっと悩んでいる自分自身を歌っているのではないでしょうか。

こんなことをダラダラ考えていないで、いっそ悩み事を見ないふりするほうが前進できるのではないか。そんなことを考えている部分だと思います。

そして”答え”が出ないまま不釣り合いの言葉(きれいごと、きれいな言葉)を連れて彼女のパレイド(人生、アーティスト活動)は続いていくのです。

 

『あぁ誰かのためになら歩けるかな その先へも  今は自分しか救えない きれいなうた くちずさみながら』

 

この部分も驚きでした。「誰かのためになら歩けるから その先へと」だと思っていたので、最初に見たときは絶望に飲み込まれそうになりました。

この曲で唯一救いとなる場面がこの歌詞だったはずなんですよ。

ある程度像がはっきりしている”誰か”のためになら前に進めるという生きる希望、歩いていく希望が見える歌詞のはずだったのに、本当の歌詞ではまだ遠い場所に一点の光が見えたかな程度なんです。

この曲中に出てくる自分以外の人はこの部分の”誰か”という不鮮明な人物だけ。

自分ひとりでずっと悩んできたのに、未だに拠り所がないこのやるせなさったらもう…...

まさに「救いがない」曲だなと思いました。

 

ここまでくると、最後の「今は自分しか救えない きれいなうた くちずさみながら」もマイナスなイメージに見えてきてしまいます。

この歌詞がまさに今までにさんざん出てきた「きれいごと」なのではないかなと思いました。

何も解決していないのに無理やり自分が救われているように思いこみ、後ろ向きな歌を”きれいなうた”として自分の中で処理しようとしている。そんなように感じました。

 

結局この歌は、自分を第三者的目線で語ってわかったような気になっているけど、最終的には何も解決せず自分でも意識しないうちにマイナスな行動を繰り返してしまっているという無限ループ的なものなんですかね。

 

 

と、ここまで語ってきましたが、まだ正規の発売日は来ていないのでここらで終わりにしようと思います。

MVにもいろいろなメッセージが込められていると思うので、それはまた次回書くことにします。

とりあえずは明日のリリイベで夏川さんの想いとかをしっかりと受け止めてきますね!!

明日中にリリイベのレポを上げられるように頑張ります。

 

 

それでは。